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液状化しなかったベイタウンの底力 ~地盤を支えたのは街の地下に張り巡らされた共同溝~ こんな街、他にない!幕張ベイタウンは考え抜かれた奇跡の街。

液状化しなかったベイタウンの底力 ~地盤を支えたのは街の地下に張り巡らされた共同溝~ こんな街、他にない!幕張ベイタウンは考え抜かれた奇跡の街。

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幕張ベイタウンの道路
ベイタウン内の道路は、液状化を免れました。

液状化からベイタウンを守ったのはゴミを空気の力で送る空気輸送システム!?

この幕張ベイタウンには、実はすごい機能があって、それはゴミを収集しないで空気の力で収集所まで送る空気輸送システムというものなんです。この3年ぐらいは壊れて修理中なんですが、この空気輸送システムのおかげで朝の7時ぐらいから夜の7時まで自分の家から捨てられたので、この街にはカラスがいませんでした。

埋め立てる段階から計画されていたこの空気輸送システムですが、実は、震災でこのエリアだけが液状化しなかったのはこのシステムの賜物だったと言われていています。

ベイタウンの地下に張り巡らされた共同溝と狭い間隔で打たれた杭

地下に共同溝があって、上下水道・ガス・電線・インターネット・電話、そしてゴミを空気の力でゴミ処理場まで運ぶ空気輸送システムが全部ひとつにまとめられて、それがベイタウンの地下に張り巡らされているんです。だから、震災の時に千葉県内の多くの埋立地が液状化して、あちこちで砂が噴き出した時に、このベイタウンはどうだったかというと、共同溝に守られたおかげで中の菅が破裂しなかったんです。

また、パティオスが沿道型だったこともあって、道路に沿って杭が打たれているんですが、その杭と杭の間隔が狭いのもこの街の特徴でした。道路は普通、16mもしくは18m。道路自体に杭が打たれているわけじゃないんですが、杭と杭の間が狭いのであの震災でも道路はほんのちょっと沈むだけで終わったんです。

幕張ベイタウン全景
街の中心部の建物は全て6-7階の低層パティオス。

震災の揺れは本当に怖かった。でもお客さまに被害はほとんどありませんでした

あの震災の日は本当に怖かったです。でも、当時、勤めていた三井のリハウスはメゾネットになっていて、確かに大きく揺れたけど、倒れたものはありませんでした。でも私は、心配なお客さんのところや、入居してすぐのお客さんにも連絡しました。

当時、海の手前の高層マンションを購入したばかりのお客さまは、関西で震災を経験されていて、「免震構造だから大丈夫だと思います」という私の言葉で買ってもらった経緯があったので特に心配でした。でも、連絡したら、何も被害はなかったって。「買う時に、揺れて不安でも絶対に家から出ないでください。ここは免震構造だからここでダメなら、もうだめだからって館山さんが言ってくれたのを思い出して、怖かったけど家にいました」って言われて、ほっとしたのを覚えています。

10階以上の人たちは倒れたりしたものがあるみたいでしたが、低層の人たちはほとんど大丈夫だった。それも全部、奥さんたちから聞いた生の声ですし、実際、あの時は外に出ている人が多かったんです。だって家の中を片付ける必要がなかったから。

佐川急便さんの口から飛び出した驚きの第一声。「この街はいったいなんなんですか?」

この街の震災の強さは、隣接する公園も道路を見ても明白でした。みんな砂が噴き出してあちこち山になっていたけど、その日10時までベイタウンにいた私は全然知らなかったんです。心配なお客さまを訪ねたり、連絡をとりながら、道が混んでいるという情報もあったので夜10時ぐらいまで会社に残っていたら、佐川急便の人が来て言うんです。

「この街はいったいなんなんですか!?」って。

でも、何を言っているのかこちらにはわからないんですよね。よくよく話を聞いてみると、佐川さんはその日、千葉湊というエリアからガタガタになった砂だらけの街を通ってきたんだそうです。ようやくこのベイタウンに辿り着いたそうですが、ベイタウンはなんともなっていない。だから驚いていたんですよね。

ベイタウンを出て、初めて目にした震災の爪痕

「出たらわかりますよ」って意味深な言葉を残して佐川がさんが帰った後、私たちもベイタウンを出ました。それから翌日にかけて、隣接する公園や道路、駅、イオンや海浜幕張駅前のアウトレットなど、震災の被害を初めて目の当たりにしました。

でも、ベイタウン内はやっぱり被害が少なくて、タワーマンションの最上階のお宅も、幸い家具が作り付けだったというものあって、キャスター付きの小さなテレビが倒れただけでした。エレベーターはさすがに止まっていましたが、翌日には復旧していましたから、幕張ベイタウンは本当にすごいなと思いました。

この幕張ベイタウンに住む人々の底力もすごかった

震災の時に、この辺りのマンションの人たちは何をしていたかと言うと、「人手が必要なら手伝いますよ」って声を掛け合っていました。心配なお客さんのところに向かおうと思って焦って自転車漕いでる私にも3人ぐらいが声をかけてくれて、「自分ちはなんともない」って言っていました。そして、「どうしたの館山さん、何か手伝おうか?」って声をかけてくれるんです。

ベイタウンの街と物件の良さに私自身が惚れ込んで、それまでも一生懸命売ってきましたが、この街の底力を本当の意味で実感したのはこの震災がきっかけでした。困っている人を助けようっていうこの街の人たちを見た時に、私が生まれ育った下町とおんなじだって思ったんです。高級住宅地だからこの街が好きなんじゃないんです。それに、この街の人たちがすばらしいのは、この街のコンセプトが素晴らしいからだってわかったんです。

震災後にさがったベイタウン物件。買ったのは、この街の強さを目の当たりにしたこの街の人々

実は私、震災の時にこの街の様子を動画に撮ったんですが、撮ってから気づいたんです。マンホールが飛び出したりしている写真は注目されるけど、何もなっていない動画だから意味がないんですよね。震災で何もなかったってことが、このエリア以外の人にはなかなかわかってもらえなかったから、周辺の地域と同じようにこのベイタウンも値段が下がったんです。

だけど、この街に住んでいた人は買いました。それまで会社が出してくれるから賃貸でいいやって思っていた人たちが、あの震災でこんなに何にもなかった街だから買いますって言って、買ったんです。

私もこの街をお客さんと一緒に歩いて回りながら、毎日毎日、1人のお客さんに5軒とか、2人のお客さんでそれぞれ2軒づつとか、たくさん案内していましたが、震災の時に感動したこの街の良さをお伝えするうちに、みんな私のところに買いに来てくれるようになりました。この街に住むパパたちも、「館山さん、この街を自信持って勧めてよ。俺たちもこの街に骨を埋める覚悟はできてるからさ」って資料とかを届けてくれたりして応援してくれました。

それでも街の価値が戻るのに3年。徐々に見直されたパティオスの価値

それでも、やっぱり震災の後は売れない時期がずっと続いて、この街がダメになっちゃうんだっていうところで復活したのは3年後でした。夏休みが過ぎてこれで復活しなかったらどこまで値段が下がるかわからないっていう瀬戸際で、その夏休み明けからすごい勢いでこの街にお客がきました。

ステイホームが増えた今、ベイタウン物件の需要が高まっています。

そして今はまたコロナの影響で旦那さんが家にいるようになって、住宅が売れるようになりました。日中、家にいるようになったからこそ、それまでは奥さんしかわからなかった昼間の日当たりのことも風通しの恩恵も、より敏感に感じるようになったんだと思います。外に出ても、夏は日陰をあるけば風も通って涼しいし、冬は日向を歩けば暖かいし、風向きも季節によって変化するようで寒くはないんです。建物が低いから夕方になっても街全体が明るい、そういうことをみんなが実感するようになったんですよね。